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寿永山本妙寺は、天正元年(西暦1573年)創建で、 450年の歴史を育んだお寺です。 お寺のある美作海田は岡山県唯一のお茶処であり、岡山三湯の一つである湯郷温泉から 車で15分の山深い自然豊かな地にあります。 本妙寺参道を境内へと進むと、山門(鐘楼門)が見え、 その中央には大きな「石の釣り鐘」がぶら下がっています。 一見梵鐘に似ていますが、本来の梵鐘は1942年(昭和17年)に戦争資源不足の金属回収で供出され、 その後、この石の梵鐘が吊るされました。 現在、山門の西側には1952年に建てられた鐘付き堂があり、夕刻6時には六回の鐘を突かせて頂いております。 その鐘の音が山深い谷に響き渡ります。 正しく、平和の鐘の音です。 |
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山門(鐘楼門)をくぐると目の前の中央には、 600年遠忌報恩塔、新井日薩上人御直筆のお題目碑賽塔と、 両脇には曼荼羅碑の永代供養塔が現れます。 また参道を登ると山頂には、享保元年(西暦1716年)に建立された、三十三番神堂八幡様が祀られています。 後に、立教開宗750年の記念事業として新築されました。 山門を入った左側には本堂があり、その正面には楠の大木と「水子観音様」が祀られています。 尚、本堂には鬼子母神様、妙見様、大黒尊様、加藤清正公が祀られています。 御来山をお待ちしております。 寿永山本妙寺 住職 松澤是宏 |
大黒天 | 大曼荼羅 | 鬼子母神 |
(右脇持-本妙寺本尊) | (日蓮宗大本尊) | (左脇持) |
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ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラは、 インド密教に取り入れられた。 “マハー”とは大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒)を意味するので大黒天と名づく。 その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。 摩訶迦羅と音写される。 密教では,胎蔵界曼荼羅の最外院北方に属し,自在天の化身として, 3面6臂で忿怒の黒色形相をもつとされる。 最澄が日本に伝え,比叡山に祀ったのが最初。 後世では,七福神の1つとして頭巾をかぶり,右手に小槌,左手に袋を持ち米俵の上に乗っている姿が通常のものとなり, 福徳の神として民間で尊ばれている。 また大国と混同し,オオクニヌシノミコトと同一化して尊ぶ風習も行われている。 武装忿怒の大黒天像は,滋賀明寿院に伝わる半跏像など,藤原時代の作例がいくつかあるが,多くは袋を背にかけた袍衣の姿で, 福岡観世音寺に藤原時代の遺品が伝わる。 鎌倉時代以後は滋賀聖衆来迎寺のものなど,大部分のものが七福神の1つとしての姿をとり,江戸時代にいたるまで急激に増加した。 |
曼荼羅とは、密教の経典にもとづき、主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣を 模式的に示した図像。 ほとんどの密教経典は曼荼羅を説き、その思想を曼荼羅の構造によって表すので、 その種類は数百にのぼる。 古代インドに起源をもち、中央アジア、日本、中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などへ伝わった。 21世紀に至っても、密教の伝統が生きて伝存するチベット、ネパール、日本などでは盛んに制作されている。 漢字による表記のバリエーションとして「曼陀羅」があるが、日本の重要文化財等の指定名称は「曼荼羅」に統一されており、 ここでも「曼荼羅」と表記する。 日本では、密教の経典・儀軌に基づかない、神仏が集会(しゅうえ)する図像や文字列にも、 曼荼羅の呼称を冠する派生的な用法が生じた。 またチベットでは、須弥山を中心とする全世界を十方三世の諸仏に捧げる 供養の一種を「曼荼羅供養」と称し、この供養に用いる金銅製の法具や、この法具を代替する印契に対しても、 「曼荼羅」の呼称が使用されている。 出典: ウィキペディア(Wikipedia) |
鬼子母神は、仏教を守護するとされる夜叉で女神ヤクシニーの一尊。 梵名ハーリーティーを音写した訶梨帝母(かりていも)とも言う。 夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王の妻で、 500人(一説には千人または1万人)の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。 そのため多くの人間から恐れられていた。 それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。 彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。 そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。 それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」 と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言った。 彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。 |